j-ume blog

建築 + アーバニズムの冒険 - the quest for urbanism + architecture

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不愉快な - Hotel Life

必ずしもそうではないが、不愉快なホテルである。

 

今朝がた、House Keeperがやってきた。今日は掃除をしない、代わりのタオルを持ってきた。だそうだ。そして、チップくれ。だそうだ。

 

レストランはいっそうひどい。注文をして部屋まで運んでもらおうと思って頼むと、内線電話するからテメーがとりに来い、だそうだ。小一時間たったころ、部屋をノックするレストラン係。あけると、なんで電話に出ないんだ、ご飯はとっくにできてるぞ、だそうだ。内線電話は壊れている様子、なぜか怒られ、レストランまで冷めたご飯を取りに行く。

 

*なお、このやりとり、こちらは英語、あちらはフランス語、身振り手振りでの会話である。

 

***

 

半年ほど前か、近郊のリゾートで小さなテロがあった。数か月前は地方としてデモ隊が暴徒化する事件があった。これを受けて、基本的にタクシーを使っての外出は禁止されている。ホテルは仕事の都合上、官庁街の近くに立地するが、徒歩圏には何もない。一応プロジェクトで借り上げる車があるが、私用ではあまり使わない。したがって、週末はホテルに、自主的缶詰状態である。

 

さっさと帰りたい。

 

日本に帰着できるのは3日延びて、後10日後である。

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  1. 2016/09/26(月) 07:54:56|
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発展途上国地方部 - 建設

すっかり投稿ご無沙汰しておりました。現在CI国に滞在しています。今回のプロジェクトは地方行政能力向上のためのプロジェクトなわけですが、その地方には安全上の理由からいけなくなりました。一番大きな都市での日々を過ごしているところです。

地方行政の能力向上、現実的なゴールを追求するのは予想以上に難しい道のり。こういう現場で四苦八苦していると、日本がどのように現在のシステムを築いたのか、非常に気になります。やはり日本は優等生とみるべきなのかと思えてきます。

お金がない。技術がない。人がいない。三重苦なわけです。

具体的に書きましょう。建築物の建設でコンクリートを推奨したい。そんなお金があるのか、コンクリートを施工する技術があるのか、施工監理する技術があるのか、施工監理する人がいるのか、ということから、建築物の屋根組には木が選ばれるわけです。木は木で、ちゃんと乾燥させて製材されていない、流通ルートが安定していない、防腐処理していない、腐る。ということで長持ちしない。この現状をどこから改善するのかという悩ましい問題ですね。
  1. 2016/09/18(日) 19:05:00|
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象牙海岸、黄金海岸、奴隷海岸 - ガーナ

西アフリカの海岸は、その地からヨーロッパが貿易した品に合わせ、象牙海岸(=Ivory Coast、コートジボワール)、黄金海岸、奴隷海岸などと呼ばれた。ガーナあたりの海岸は、黄金から奴隷へと貿易の品を変えてきた。ガーナの沿岸には、ポルトガル、オランダ、イギリス海洋時代の城塞が多く残る。世界遺産にもなっている。これらは、貿易、特に奴隷貿易の中心地であった。

ガーナの首都、アクラから、地方都市のセコンディ・タコラディへは陸路で移動した。途中、Cape Coastという街を過ぎ、Eliminaという町による。どちらも奴隷貿易の中心地だった場所だ。唯一の観光だ。15世紀のポルトガルによる城が残る。後にオランダ、イギリスが奴隷貿易に使った城である。一階に奴隷部屋、二階に城で働く人、三階に一番偉い提督が住んだ。奴隷は、ヨーロッパで使い古した武器を港近くの黒人部族に渡して、彼らが他の部族を捕まえてきて、白人に渡すということをしていたらしい。黒人は、この城に、船で出向するまで狭い部屋で過ごした。男女別に分かれた空間。提督の三回バルコニーから、女性奴隷の部屋のある中庭が見下ろせ、提督は気に入った女性奴隷を隠し階段で自分の部屋にあげていたらしい。意外だったのは、同じ城で、奴隷も提督も暮らしていたということだが、奴隷が500人くらい暮らす空間の広さと提督一人の空間の広さが同じという環境だ。奴隷は、城の海に面する小さな扉から船に載せられた。船の環境の方がもっと厳しく、そして、連れていかれた先の奴隷市場ももっと悲しい場所であっただろうが、このしろもあまり長居したくない悲しい城である。

城の屋上からは、Eliminaの街が良く見える。スリランカのゴールを思わせる、南国のヨーロッパ調の街。今では漁業の港になっていて、観光地だけあって、賑わっている。

***

アクラから、ケープコースト、エリミナ、をとおって、セコンディ・タコラディまでの陸路。200キロくらいながら、広大なアフリカを感じる。帰路は、郡の施設の一部を利用した、小さな小さな空港からそんなに小さくない飛行機でアクラに戻る。

***

アクラも大都市である。人々は一軒家に住むので、都市域が広大だ。都心はここも都市的だ。
  1. 2016/04/13(水) 05:48:08|
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移動の民 - 初めてのアフリカ

いろいろ書きたい事がありましたが、激しく仕事と移動を繰り返していたため、すっかり放置となっておりました。

東京→広島→長崎→福岡→東京→カトマンズ→東北→東京とめぐって、先週からは、初めてのアフリカに降り立ちました。

備忘録。
外国からの客人に同行し、ヒロシマ、ナガサキと原爆関係の資料館と跡を巡りましたが、本来の目的は交通施設の見学、福岡は日本で一番大きなバス事業者西鉄さんが主となり、バスターミナルも見学。非常に勉強になりました。バスターミナルといえば、新宿のバスターミナルも開業しましたね。

ヒロシマは約五年ぶり、ナガサキは15年ぶりの訪問となり、改めて原爆の被害と復興を見るのは非常に興味深いものでした。どちらも市民の力強さに圧倒されるのでした。その後、訪ねた東北も市民が強い。甚大な被害の下での特殊な事情での結束ですが、市民参加の極端な事例というか、原点というか。頼もしいものだと思います。

時間はずいぶん経ちますが、世界と日本を巡り巡って、とうとう、アフリカまでやってきました。ビジネスクラスに載せていただき、10時間かけてドバイへ、10時間アビジャンへ。

アビジャンはコートジボワールの事実上の首都。コートジボワールはアフリカの優等生で大きな経済発展を見ましたが、数年前までの内戦が大きくその足を引っ張りました。今でこそ平和を取り戻しておりますが、大きなチャンスを逃してしまったといってもいいのかもしれない。

それでも、都市は非常に美しい。高層ビル(ちょっと古い)が立ち並び、大きな道路が走り、水辺に広がる街(ちょっと臭い)。アビジャンの都市にいる限りは、発展途上国と感じさせるのは、水が腐った匂いくらいで、後はもうヨーロッパ南仏くらいにいるんじゃないかという感じ。夜景も水に反射が美しい。

郊外に出ると、流石に舗装がはがれた道路が目につくようになったり、あ、発展途上国だったというのを思い出させてくれる。

一週間、いろいろめぐり、今は、隣国、ガーナのアクラに移動してきました。
  1. 2016/04/10(日) 07:05:31|
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凍えるアパート - 2016-01-Kathmandu

新年早々のカトマンズ、燃料問題は解決せずに、毎年やってくる電力不足の冬。

水力発電に頼るネパール、大都市カトマンズは、水量の減る冬は電力に乏しい。春が来れば雪が解けて水が戻り電力も戻ってくると思われる。今年は輪をかけて燃料不足、たぶん電力消費も増えて毎年にましていっそう電力が足りない。計画停電も徐々に時間が増えて、今は一日の半分以上、電気は来ない。

今回はアパート暮らし、後輩君と一緒だ。密度の高い都市で日当たりはあまりよくなく、煉瓦造りの住宅内部は寒々しい。昼は日光を求めて、直射のさすベランダで過ごす。夜は、電気ストーブもつけられず、非常用に蓄電池から供給のあかりで過ごす、まあ結構明るいのが救い。

だが、夜はゼロ度近く、コートを着て部屋で過ごす。後輩君とテーブルのあるダイニングで、切れるか心配になりながらガスで湯を沸かし、温かいコーヒーを飲む。

こちらに来てすぐに週末、これからの多忙な日々を前に少しだけのんびり過ごす。日本では黄熱病の予防接種のしたので、無理をせずに。暖かいトレーナーを着こんで布団と毛布の合間に潜り込む。

明日からオフィス。夕方6時までは発電機で電気を出してくれる。人がいるのでそこそこ暖かいオフィスも、やっぱり寒いのだ。
  1. 2016/01/10(日) 03:09:26|
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