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建築 + アーバニズムの冒険 - the quest for urbanism + architecture

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都市計画 - 欠如ランカ

スリランカ行きがなかなか決まらないわけですが、やっぱり日本は面白くていいですね。

さて、最近さぼり気味のブログ・・・

スリランカで知り合った方から、昔の投稿に関して質問を頂きました。その返信のほぼ引用ですがせっかくなので。

「スリランカにおいて、アーバンデザインが欠落しているとは、言いかえる(噛み砕く)と何が欠落しているということでしょうか?」とのご質問。

まずは、アーバンデザインとアーバンプランニングについて考えてみると、単純に、都市計画を訳してアーバンプランニング。一方のアーバンデザインというのではかなり違ったことを言っているように思います。

アーバンプランニングとアーバンデザインが曖昧なので、文章では曖昧なまま書いてしまいがちです。その投稿、アーバンプランニングが欠如していると言っても良かったような文章だったのかもしれません。ですが、当時、都市計画の役所(Urban Development Authority)で、良くUrban Designがないということを言われていたので、アーバンデザインという言葉を使っていました。

彼が彼なりに解釈されたのは、「都市美の追求、アメニティの実現、人間性に配慮、文化性を高め、快適で質の高い外部空間を生み出すために、空間的、感覚的など様々な視点から景観構成や全体の構成等を考慮し都市を設計すること」が、アーバンデザインだと。とてもしっくり来る文章です。

「都市全体の構成をかんがえること」といったときに、全体の指すものは、都市圏全体なのか、一つの単位をなす街なのか、通りなのかと様々なスケールが考えられます。デザインといっている以上は、「連続する」「空間」を作ることがアーバンデザインだと思います。「連続する」といったときのスケールは、その場合場合で異なってきますが、大きなスケールでも、小さなスケールでも、アーバンデザインの範疇に入るような気がします。

また、そのような都市美、アメニティ、外部空間、景観を生み出すためには、何らかの法的な仕組みであったり、つよいリーダーシップであったり、単体での建築や空間をつなぐシステムが必要になります。そのシステムを考えて計画することも、広義の意味ではアーバンデザインでしょう。そう考えると、アーバンプランニングとアーバンデザインの領域はオーバーラップしてきますので、定義が曖昧になってしまいます。

スリランカで都市を作る上でなにが欠落しているのか、というのはとても大きなテーマです。なので、すぐには答えが出る命題ではありません。

スリランカ人が都市計画の法的なものとして、一応、持っている、ゾーニングでは、建物の用途を規制したり、大きさを規定しますが、実際にうまく機能するものとはなっていません。これは、制度上の問題であって、アーバンデザインが欠落しているということの根本的問題ではありません。

書きたかっことは、スリランカの都市計画は対処療法的で、連続性がないということです。もっともそれはどの国も抱える問題なのかもしれませんが・・・

***

たとえば、都市圏全体の、大きなマスタープランが必要だという議論のもとで、都市の未来を想像しつつ、マスタープランを描きます。

その一方で、たとえば、混雑している主要な道路上の交差点があります。彼らはその部分の道を広げて、交差点の道路の設計を改良して、渋滞を解消しようとします。

その交差点の脇に、行政のもっている土地があります。主要交差点なので、お店が集まってくるエリアなので、とりあえずいま必要なショッピングセンターのようなものを計画します。それは建築デザイン的に大変美しいものかもしれません。


しかし、本来ならば、マスタープランから交差点とその脇のショッピングセンターの配置までは、計画上つながっているべきでしょう。そのような連続性のなさを指摘したかったのです。(いままでコロンボでの都市計画に携わって、今、思うことですが)

マスタープランではそもそも渋滞の原因となっている都市全体の構造が描かれているはずです。それに基づいて、バイパスを計画する、もっと大元に立ち返って、コロンボに一極集中している都市施設を分散させる、などなど、こまかな問題点でも大きな構造の中での一現象なので、その原因が分析されるはずです。

それに基づいて、渋滞が発生している交差点は、市民の日常での買い物の場所になっているのだから、そのような活動がきちんと成り立つように、交差点に集まってくる交通を分散させるような計画をたてる。

そうすれば、その脇に行政が持っていた土地はさらに有効に使えて、その交差点周辺は地域の核となる。というような計画の連続性があるはずです。

しかし、実際にはマスタープランは本棚に入り、それを見ずして、今起こっている渋滞を解消するだけの事になってしまいます。それでは、その場所に本来デザインされるべき空間は作れませんし、「快適を追求」にはいたりません。

都市美という目標の元、全体を構成するには、大きなスケールから小さなスケールまでの連続性が必要だということです。それがあってこそ、目に見える範囲での実際のデザインに至ると思います。

実際に起こっていることは、目の前の課題を解決すること、たまたま土地があったからそこに何かしらの施設を作ることだけで、連続してはじめて快適で美しくなる都市空間をつくることができていないということです。それがアーバンデザインの欠如なのではないかとおもったわけです。

***

大それたテーマに基づいて、スリランカの発展途上国で都市計画に携われることは幸運でしょう。先進国が良かれと思って組み立てられたシステムが、当の発展途上国では大いに無駄なのかもしれません。それでもその必要性を感じながら、その現場にいることは大変刺激的です。やはり現場にいたいと思います。
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  1. 2011/07/27(水) 23:20:53|
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