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建築 + アーバニズムの冒険 - the quest for urbanism + architecture

F氏 - 特有の場

F氏は僕にとって、もっとも師らしくない、師である。

F氏のオフィスは、札幌の都心の裏側にあった。昭和の香りが残る、取り残されたようなビルの一番奥にあった。ビルには古くてダサい洋食屋さんがあった。僕の実家の昔のランプシェードが天井からおりていた。オフィスは一番奥にあるにもかかわらず、試験的に設置されたCaféのさらに裏側にあった。Caféは隠れ蓑であり、ある種、特有の場であった。


F氏は2001年、僕が大学3年生の頃に大学にやってきた。設計演習の非常勤講師であった。大学の建築学科というところは非常に特殊な場である。氏の言葉に頼れば、図面なき(建設)現場、とのことらしい。答えなんてないのに、答えを常に探して、製図台に向かい、模型を刻み、酒を飲み、カップラーメンを食らい、インスタントコーヒーを飲み、朝を迎える、ここも特有の場である。

F氏は文字通り、普段着でやってきた。オオモノが非常勤講師でやってきた、という学生にとっては興奮めいたことなど何もなかった。F氏はいわゆる建築家ではなかった。建築の設計なんてやっているのか、という人物であった。普段着過ぎたのだ。しかし、学生たちはF氏に惹き込まれていった。

F氏は常に製図室にいたし、飲み屋にいた。先生という立場で大学に気ながら、生意気なだけで何も知らない学生を相手にしながら、それなのに、常に同じ土俵に立っていた。

F氏は柔軟であった。そして、建築を学び始めたばかりのひよっこ学生にはアプローチの角度が多彩すぎた。学生たちは純粋ではあるのかもしれないが、素直ではない。それもあいまって、多彩なアプローチゆえに、建築を目指して模型を作っていたのに、ゴールはどこにあるのかすら分からなくなった。しかし、それに価値を見出さなかった学生はいなかった。

F氏の言葉はある意味で無責任だった。それでも重要だと思われる断片を常に乱射していたのだ。その断片をつかまえることはできても、その断片の意味が分からない。しかし、無責任な言葉を発するF氏の態度が無責任であったことは一度もない。

F氏の隠れ蓑のカフェでは時折飲み会が開かれた。かたいテーマ設定の会から、ただのOB会ぽいとき、学生がその場で何かしらプレゼンしなくちゃいけない会もあった。学生はややめんどくさそうにその会に参加したものだった。彼は場を提供したのだが、彼自身どれだけその会に足を突っ込んでいたかは良く分からない。斜に構えていた印象が強い。

F氏はロッテルダムのカフェにてオランダ留学中の僕の写真を取った。日本で勝手にその会で、皮肉も込めてだと思うが、アーバニスト・ウメムラとして紹介したらしい。もちろん僕はオランダにいたので何があったかはよく知らない。真意も知らない。

F氏の隠れ蓑のカフェには、留学先から札幌に帰るたびに顔を出した。あいかわらず、キッチンの奥みたいなところからF氏は普段着でひょいっと顔をだす。話してみると、僕が学生だった頃の熱が冷めて、すっかり冷静さをまとったF氏の姿を感じた。

F氏、今年度を最後に非常勤講師の立場から去るとのことである。Facebookがかすかな情報を僕に伝えてくれた。そして、F氏のブログを久々にのぞいて見た。大学をでてから見たF氏の冷静さの答えが見えた。無責任な言葉を発することが、純粋で素直でない学生にどう響くのかということに強烈な責任感を感じたと思われる。あの時に冷静に感じたF氏は、冷静に振舞っていたに過ぎなかったのかもしれない。

F氏のブログでは、その葛藤を乗り越えたらしい書きっぷりであった。思えばF氏にはもうしばらく会っていない。急にF氏のカフェにまた顔を出したくなってきた。

F氏の隠れ蓑のカフェ、ところが、閉店したとのことである。約2000日の営業だったらしい。あの特有な場は役割を終えたのだ。F氏が大学を去ることと相まって、まさに節目だ。

F氏に出会ってから10年以上、あの不思議な学生と大学とF氏の関係はもうなくなってしまう。よく出来た、今にも崩れそうなのに崩れない関係だった。その関係の中で育った僕は寂しさを感じずにはいられない。

F氏が去ることは、一方で、大学の衣替えである。僕らのいた時代とは新しい風が吹き込み、また新しい試行錯誤が始まって、新しい刺激に満ちる。

F氏自身も新しい生き方に没頭していくことだろう。そんな想像をしてみるとなんだか期待が妙に高まる。寂しさどころか、さわやかな風のなか、あの普段着のまま。
  1. 2012/03/24(土) 21:21:27|
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