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建築 + アーバニズムの冒険 - the quest for urbanism + architecture

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海 - つれづれ

僕はどちらかといえば山育ちだった。海にはあまり縁がない。生まれた街も裏山にはすぐに入っていけてもガキの分際で海に行くには電車を乗り継がなければならない。遠い。家族旅行も親が好きだった山に行くことが多かった。高原の風は爽やかなのだ。それでも、一年に一回くらい行くおじさんの実家のある割と岩場の海とか、たまには海にとか、親が奮発したに違いないバリ島の海なんかも行ったことがある。大学も北海道に来てしまい、海に遊びに行く機会は稀だった。海は広くどこか憧れの存在だった。車から海が見えた瞬間の海ーっと叫ぶその対象だ。大人になると海に行く機会もたびたび増え、スリランカに来たおかげでビーチリゾートに行く機会も増え、新婚旅行も海だった。

今日は海の見えるカフェにいる。今回の日本滞在でせっかく沖縄に行ったのに海を楽しめず、東京でも海に遊びに行く機会を得られず、残念だったので、そんな海にまつわる思い出に浸ってみた。

コロンボ生活は貴重な海際の生活なのだ。海らしい海に面しての生活はなんだか豊かだ。ただ通勤途中に海を見て、たまに夕陽をみながらビールを飲んで、たまーに、ちょっと南に下ったビーチに行く。そんな生活だ。

世界中の多くの大都市はそんな豊かな海をないがしろにしている。大体の大都市は交易に有利な海沿いにある。交易ゆえに大都市になったから。ただし、交易ゆえの海は工業的な港であり人を寄せ付けないコンクリートの絶壁だ。

鎌倉に行った。歴史的な軸の南端はビーチで、もう駅から水着のお姉さんのいる夏はとてもいい感じだ。バルセロナに行った。街から海へ、そのままビーチがあった。そんな海に人がいける街はそんなにない。海があるということは特殊ではないのに、街の構成は海を特殊な存在にしてしまっている。それだからなおさら、海のある町は豊かなんだと思う。

コロンボの将来、海が開発され、そしてきっと下水道がちゃんと整備され、工業港とリゾートな街と、庶民の海と棲み分けがなされている将来を想像したら、なんて豊かな街になるんだと思う。将来がいつ来るかが問題だけどね。

東京の将来、埋め立ての人口の海岸が少しずつ発展して、とてもきれいに整備されて人々に開かれて、地下鉄一本でふっと海が感じられる、そんな棲み分けが徐々にできつつあって、駅ごとに個性をはぐくむ様子、パッチワーク的な一要素にうみがもっと入り込んでくるとか、なんかやっぱりいい大都市になるよね。
  1. 2014/08/10(日) 18:50:50|
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