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建築 + アーバニズムの冒険 - the quest for urbanism + architecture

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80%プライベートの欧州旅行記4 - 生き残った都市、Tallinn

次にやってきたのは、エストニアの首都、タリンだ。最終目的地までの飛行機よりも、タリンまでの飛行機と船の方が安かったのと、来てみたいと思っていたからだ。着いたのは夜。暖かかったバルセロナとは打って変わり、気温は2~3°と非常に寒い。

夜ごはんを探し回ると、金曜の夜だけに、賑やかであった。旧市街が繁華街らしく、非常ににぎわっている。そして、危険を感じない。好印象だ。

入ったレストランは、エストニア料理を食べさせてくれるとの客引きに乗ってみた。後でいろいろ比べると、別に高かったわけではないので正解だった。ちなみに血のソーセージを食べた。この客引き、日本大好きなイタリア人(エストニア在住)で、勢いに任せて仲良くなった。

翌日、じっくり見て回るタリンの街は、いわゆる絵本の中の国のようだった。こんなタリン、歴史は複雑だ。バイキング、デンマーク、ロシア、ドイツの侵攻を受け続け、1992年にソ連から独立してようやく落ち着いた国である。

城塞の突き出た部分、(Bastian)の下にはトンネルがある。Bastian自体が土をもってできた人口の土地なので、トンネルはその基礎部分のようなものだが、兵士が移動するための物であった。この見学ツアーが非常によかった。ガイドさんと共に、歴史をさかのぼりながら進む。見学できるようにする前は、ほぼ下水が溜まりっぱなし、それ以前は、ソ連からの分離の際、職を失ったホームレスのすみか、ソ連時代後期はパンクの若者の隠れ家、ソ連時代前期は核戦争に備えた核シェルターと国民の訓練、第二次大戦中は防空壕、第一次大戦中は毒ガスから守るためのシェルター、それ以前は牢獄に使われたり、と、歴史の中での役割を見て取れる。ヨーロッパに来るなら歴史を勉強すべきだと思わされる。

タリンの公共交通の運転手さんは、いままで訪れた街のなかで一番愛想が悪く不親切だった。が、その都度、近くにいた市民が助けてくれた。市民は大変優しい。

さて、翌日の朝、早めに起きて、フェリーターミナルへ。二時間半の船旅にて、ヘルシンキに向かう。

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  1. 2015/04/27(月) 00:30:13|
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